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2024.06.20 08:05

愛の幻想(沢田夫人、35歳、神経症)

福島章

 この患者は、初診時結婚後12年を経過しており、女の子もいるが、夫との性的関係の中で少しも快感が得られないばかりか、むしろそれに嫌悪と恐怖さえ感ずると訴えた。
 夫人の回想によれば、それは彼女の少女時代の体験に由来する。外地で終戦を迎えた一家は苦労を重ねて日本にもどらねばならなかったが、その日本人たちを何度も外国兵が襲って掠奪や暴行をほしいままにした。ある白昼、外国兵が日本人の集団を襲い、一人の若い女教師を見つけだし、人々の見守る中で代わるがわる凌辱した。日本人たちが声もなく見守る中で、裸にされた真白い肉体は、外国兵の毛深く巨大な肉体の下におさえつけられ、飽くことなくもてあそばれた。それまで何日かをともに旅をして顔見知りの、優しくつつましい女教師の唇からは、この世のものとは思われぬ恐ろしい叫びがほとばしった。美しい犠牲者は何人もの男たちにくりかえしくりかえし辱しめられた。その光景と叫び声は、大人の胸に顔を埋めて恐怖にふるえていた少女の脳裏にも強く灼きついたのである。
「そんなことは、早く忘れたいと思うんです。でも、主人に抱かれると、私はいつもその女の先生が犯されていたときのことを思い出してしまうのです。そして、主人が外国の兵隊で、私がその女の先生のような気がしてしまうのです。だから、私には夜の生活が恐ろしいのです」と患者は述べる。小柄ながら華奢で上品な感じのするこの美人の夫は、東大出のエリート官僚であったが、身体はたしかに大柄で筋骨と体毛の発達がよく、一見して男性的な風格があった。だから、この夫人の連想もあながち不自然とはいえないと考えられるのではあるが、それならなぜ彼女は、よりによって彼女の「思い出」を刺激しやすいような男性を夫に選んだのかという疑問が浮かぶ。夫の方では、「妻が歓びを感じていないとは思えないのだが」と医師に、述べている。
 このケースの病歴の示すものは、性行為における女性の「マゾヒズム的役割」に対する誤った同一化である。その基礎に強烈なインプリンティングが刻印され、そのあくことのない〈反復強迫〉が、夫人の訴えであると理解できよう。
 夫人は少女時代の強烈な刻印体験のために、暴力と凌辱のイメージに固着し、愛のいとなみはその単なる反復なのだと言う。しかしもちろん、そこに不快と嫌悪だけがあると考えるのは早計で、犯され辱しめられる自分を幻想することによって、彼女はマゾヒズム的な快感を得ていることは疑いもない。彼女が一見して外国兵に似た風格の夫と結婚して夫婦生活を維持しているのはまさしくそのためであろう。あたかも衆人環視の中で犯された女教師のように、自分の夫婦生活を医師に報告する行為も、彼女のモデルへの〈同一化〉と〈反復〉と解せられる。
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